月刊「文藝春秋」平成17年7月号でインタビューを受けました。
かなりの長文ですが、まだ読まれていない方のために文藝春秋社のご協力を得て、ここに掲載致します。なお、本文中の写真は外務省で用意したものであり、7月号原文とは関係ありません。


対中国「へりくだり外交」を排す
明瞭な言葉と毅然とした態度で隣国に立ち向かえ
町村信孝


文藝春秋7月号のHP
http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/bungeishunju0507.htm


――五月二十三日、訪日していた呉儀副首相が、予定されていた小泉純一郎総理との会談を突然取りやめ、帰国してしまいました。
「外務省に連絡が入ったのは、当日の朝八時四十五分でした。中国側の説明は『重要な緊急公務を処理するため』ということでしたが、しかしその『公務』が一体何だったのか、理由ははっきりと説明されないままでした。後になって中国外務省から『呉副首相の訪日期間中、日本の指導者が靖国神社の参拝について、相次いで中日関係改善に不利となる発言をしたことは大変不満だ』との談話が発表されましたが、いずれにしても失礼な話です。会談取りやめの日の夜、記者団の質問を受けて、『そもそも一国の首相が公式に会う日程を組んでいる、ということを余りにも軽くみているのではないか。最低限の外交的マナーを守ってもらいたい』と答えました」


――この騒動を見ていると、一カ月ほど前に中国全土を席巻した反日暴動、大使館への破壊行動をどうしても思い起こします。四月中旬に訪中されたときのことを振り返っていただけますか。
「四月十七日の午後、私は四時間弱のフライトを終え、北京首都国際空港へと降り立ちました。一般客のターミナルを通ることなく、すぐに空港の出口へと誘導され、黒塗りの車に乗り込むと、車は静かに隊列を組んで北京市内へと走り出しました。高速道路に入ってしばらく経ったころ、おかしなことに気付きました。車が一度たりとも止まらないのです。他の一般車は、私たちの車の通行を妨げないようにあちこちで止められています。市内の一般道に入ってもその状況は変わりません。幾度となく赤信号を無視し、スイスイと走っていく。車窓の外を見れば、道路脇には公安警察官が約十五メートルおきに歩道側を向いて直立し、不審人物や、不審物の警戒にあたっている。北京には今まで何度となく訪問したことがありますが、このようなことは初めてです。まさに厳戒体制、といわんばかりの光景でした。
 この前日には一万人規模の反日暴動が上海で起き、日本総領事館のガラスは割られ、数十カ所の日本料理店が襲撃を受け、邦人の負傷者も出ていました。またこの日も瀋陽、深?、アモイ、長沙、香港など中国全土で、大規模な反日デモが行なわれていました。表向きは日本の国連安保理常任理事国入り反対のデモ行動。しかし、それは単なる口実にすぎなくて、彼らは日頃から醸成されていたであろう何かに対する不満を、そこで思い切り爆発させているかのように見えました。そんな中、日本の外務大臣として、日中外相会談に出席するために北京に赴いたのです。すでにこの反日暴動に対し、国際社会から中国政府に対する非難が続々とあがっていましたから、今このタイミングで日本の外務大臣の車に何かあったら、中国政府の面子はつぶれてしまう。武装警官たちの緊張でこわばった立ち姿に、政府当局の、国家の威信をかけて日本の外交団の安全を守らなければならない、という強い意思を見てとることができました。
 しかし、各地での暴動を伝えるテレビ映像を見ていると、デモ隊を前にした警官隊は、投石や破壊行動を本気で制止しているようにはどうしても見えませんでした。政府当局はこの暴動を抑える気がないのではないか、と見受けられる状況が各地にあったのです。日本政府としては、暴動が始まった四月九日以降、王毅駐日大使や中国当局サイドに抗議と謝罪、補償、再発防止を繰り返し要求してきましたが、残念ながら彼らから正式に謝罪の言葉を聞くことは一度たりともありませんでした。『日本政府は一連の歴史問題で中国人民の感情を傷つけることをしている』と繰り返すだけでした。根本原因は日本にある、というわけです。
 一九七二年の日中国交回復以来、両国の関係がこれほど緊張した瞬間はなかったかもしれません。このようなタイミングで訪中して、果たして成果が上がるのか。会談日程を延期すべきではないか、といった意見が政府内にあったことも事実です。しかし日中関係は、日中双方にとってあまりにも重要です。私は日本の外務大臣として、両国の関係を決定的に悪化させかねない事態が起きているからこそ、当初の予定通り北京へと赴くことを決めました。李肇星外交部長に主張すべきことを主張し、両国の関係を少しでも早く良い方向へと持っていきたい、主張すべき時に主張して来なかったことが、今日の事態を招いたと考えることもできるのだから−−、そう思ったのです。


一言一句変わらない“回答”



――中国側とのやりとりは、相当厳しいものだったと聞いていますが。
「会談は、その日の夕方から北京市内・釣魚台の迎賓館で行なわれました。李外交部長と話し合ったのは、およそ三時間ほどでしょうか。私は改めて、中国政府としての謝罪、補償を要求しました。
『デモという行為自体は、どの国でも表現行為として認められているものです。しかし、破壊活動や邦人への暴行行為は絶対に認められない。したがって、そういったことに対して中国政府は謝罪を行い、補償あるいは原状回復をすべきだし、再発防止策を立てることや、違法行為をした者への処罰を行なうのも当然のことなのではないですか』
 交渉に怒りは禁物。努めて冷静に、日本政府として要求すべきことを要求しました。しかしながら李外交部長の答は、その一週間前に王毅駐日大使が外務省で話したものと、まさに一言一句変わらないものでした。
『中国政府は駐日関係を大変重要視している。これからも歴史を鑑として未来に目を向けるという精神に基づき、三つの重要な政治文書にのっとり引き続き中日関係を発展させていきたい。中国政府はこれまで一度も日本国民に申し訳ないことをしたことはない。今重要なのは、日本政府が台湾問題、人権問題などの国際問題や、特に歴史問題など一連の問題で、中国人民の感情を傷つけている、ということだ。一部の国民がデモ行為に出たこと、これについては多くのことを申し上げたいし、中国政府はいかなることも法律に基づいて処理する。しかし根本的な原因をはっきり認識していきたい』

日中外相会談 李肇星外交部長と(平成17年4月17日、中国釣魚台)
日中外相会談 李肇星外交部長と(平成17年4月17日、中国釣魚台)

 このとき李外交部長は、王駐日大使と同じように、事前に用意してあった文書をただ読み上げるだけだったのですから。彼だけではありません。翌日会談した唐家 国務委員(元外相)もそうでした。彼らはここぞというとき、話すのではなく、文書を読み上げるのです。
 いずれにしても、中国側は根本的には日本政府が悪いんだ、ということで、暴行などは枝葉末節である、そういわんばかりの態度を貫こうとしました。しかし、それを認めるわけにはいきません。
『愛国無罪といいますが、いかなる背景事情があったとしても、だからといって破壊活動が正当化される道理はない』
 私は何度となくそう申し上げたのですが、結局、李外交部長や唐国務委員の口から、明確な謝罪の言葉を聞くことはできませんでした。五月七日、京都でASEM(アジア欧州会議)の際に行なった外相会談の席でも、答は同じでした。
 ただ、破壊された施設の原状回復については、
『いや、各施設の原状回復については既に伝えているはずだ』
 と強硬に主張してきました。中国政府としてはやるべきことはやっているんだ、ということです。しかし、私たちの方も、あらかじめ調べはつけています。
『確かに北京の大使館には、外交部出入り業者のような方が来ましたが、北京の大使公邸や上海の総領事館にはどなたも来ていませんよ』
 そう申し上げたら、予期せぬことだったのか、『エッ?』とばかりに後ろの随行員の方をふりかえり、『ホントか? いやそんなはずはない。行っているはずだ』などと、いささか慌てた様子に見えました。週が明けて九日月曜の午後、上海の総領事館にも業者らしき方からの連絡がようやくありました。中国当局は、朝一番で原状回復作業の進捗状況を改めて確かめたのでしょう」


教科書を読まずに批判


 
――中国側は、とにかく歴史認識や教科書の問題を持ち出して、議論のすり替えを図ろうとしてきたようですね。
「歴史認識や教科書問題についても正面から議論しました。今回の交渉で王駐日大使、李外交部長、そして唐国務委員は、皆こんなことを主張してきました。
『中国には中日両国の関係をよくしたいという願望、誠意がある。最近の温家宝総理の発言はそのシグナルである。しかし日本は歴史認識、最近の教科書問題など、中国並びにアジア人民の感情を深く傷つけている。日本は歴史を鑑として学んでもらいたい』
 私は、こう答えました。
『歴史認識という問題についていえば、先の大戦中のことだけが日中間の歴史ではありません。二千年にわたる平和な歴史があった。その長い期間の中の、ある一時期の話だけが“歴史を鑑として”の鑑の対象となるのはおかしい。二千年の友好の歴史もまた鑑にすべきでしょう。それに戦後六十年、国交がなかった時代はあっても、我々は一貫して友好の歴史を歩んできました。日本も戦時中は中国の方に大変な被害を与えた、という事実に立って、戦後は平和国家として世界の平和実現のために努力し続けてきました。そのことをどうしてあなた方は理解しようとしないのですか』
 さらに教科書についていえば、私は二度も文部大臣を務めていますし、ちょうど四年前の教科書検定の時にも文部科学大臣の職にありましたから、政治家の中では誰よりも日本の教科書を読み込んでいる、という自負があります。中国や韓国の教科書についてもきちんと目を通し、その内容はきちんと把握しています。だから、こうも言いました。
『日本の教科書の中に、戦中の軍事行動を賛美するものなど一つもありません。また、あなた方の国の教科書、これについては内政問題であることを前提にした上で、それでもいわゆる愛国教育というものが結果として反日教育になってはいませんか? あるいは各地に抗日記念館を作り、そこを多くの子供たちが訪れていますが、その展示内容が果たして日中友好に資するものなのか、あるいは日本への憎悪をかきたてるものなのか、そういった議論が日本の国会でも、国会以外の場でも、よくなされているんですよ。さらにいえば、二〇〇八年の北京オリンピックを日本は支援したい、けれども、今回の暴動や、昨年のサッカー・アジアカップでの騒動などを見ていると、国際社会の中には“この国は五輪の平穏な開催ができるのか”と心配している声も上がりはじめているんです』
 これを受けて唐国務委員は、意外にも『もしそれが真実ならば、どうぞ中国の教科書にも意見を言ってください』とおっしゃいました。そこで五月七日の京都での外相会談の席上、改めて
『唐国務委員からそういう話があったので、あなた方の国の教科書を現在政府内で検討しており、その結果はいずれきちんと報告いたします』
 と申し上げました。すると外交部長は『いや、中国の教科書と日本の右翼の教科書を混同してもらっては困る』
 と反論をされましたが、いずれきちんと報告を行なうつもりです。
 実は四月の訪中時、私は李外交部長、そして唐国務委員に、このような質問を投げかけています。
『失礼ながら、そもそもあなたは日本の教科書をお読みになったことがありますか?』
 お二人の答は「NO」でした。日本の教科書を、きちんと読んでいなかった。結局のところ、彼らは新聞の誤ったタイトルだけを見てものを言っているように感じました」


靖国問題をめぐって



――さらに中国側は、総理や政府指導部の靖国神社参拝を「やめてもらいたい」と直接的に要請がありました。
「これについて私は以下の通り、従来と変わらない説明を行ないました。
『小泉総理がいつも申し上げているように、この参拝は、わが国のために戦争で亡くなられた方々が祀ってあるところに出向き、その方々の御霊の冥福を祈り、また二度とこういう戦争を起こしてはならないという、いわば不戦の誓いをしに行くものです。あるいはこうした犠牲の上に立って今日の日本があることに対して、感謝の意を捧げるために行くのであり、A級戦犯を崇めるために行っているわけではないのです』
 正直なところ、靖国参拝問題については、意見の一致をみることはありませんでした。あるいはこれは、日本人と中国人の死生観のようなものと関わりがあるのかもしれません。私たち日本人の普通の死生観は、生前どんなことをした人であっても、亡くなれば神様、仏様になるというものであって、「池に落ちた犬は叩け」「極悪人の墓は暴いて壊し、金品を略奪してもよい」といった考え方はなじみません。この死者に対する考え方の差が、互いの立場を理解することを難しくしているのではないか、と思います。
 もちろん、このことはA級戦犯を含めた先の大戦にかかわる日本の行為を正当化するために申し上げているのではありません。
 私個人についていえば、外務大臣に就任する前は、必ず年に何回か参拝していました。総理と同じような考えを持っていますし、私の縁戚も靖国に祀られています。外務大臣に就任してからは参拝していませんが、これは王毅駐日大使が先日「日中間には、政府の顔である首相、官房長官、外相の三人は在任中に参拝しないという紳士協定があった」と話していたこととは、全く関係がありません。そもそもそんな紳士協定などありませんし、聞いたこともない。ただ現状は、公務ではないが総理大臣・小泉純一郎の個人的な思いから出た行動として参拝したことがさまざまな波紋を生んでいます。『やめるべし』と周りの人が止めることなどできません。こうした状況下で外務大臣も参拝する、となると、事態がより複雑になってしまうのではないか、と私なりに判断をして、今のところ『行かない』ことにしているのです」


竹島をめぐる立場の違い



――この三月、四月は、中国のみならず、韓国との関係もあまり良好なものとはいえませんでした。
「中国同様に教科書問題が騒がれ、竹島領有権の問題が新たに、両国の関係に大きな影を落としていました。韓国の盧武鉉大統領からは、『今までの謝罪などを無効化するような言動は慎んでもらいたい』と、暗に靖国参拝などを牽制する言葉もありました。
韓国政府は扶桑社の教科書が検定によって書き直しを命じられ、竹島を日本固有の領土とする記述が強化されたと主張し、竹島問題も教科書問題の中に位置づけてきました。“日本が朝鮮半島を植民地支配する流れの中で、一九〇五年に竹島を併合しただけであり、古来竹島が韓国の領土であることは自明のことで議論の余地がない”というのが韓国側の主張です。しかし、日本の主張は韓国の主張と真っ向から対立します。四月にイスラマバードで、また五月に京都で潘基文外交通商部長官とお会いしたときには、
『領土問題は、いくらここで議論しても答が出る話ではない。お互いの立場はお互いの立場として、この問題で両国の関係が損なわれないように、大局的な見地から見ていこうじゃないか』
 と申し上げました。また教科書については、日本は韓国と違って国定教科書制度をとっておらず、表現の自由に照らしても全ての教科書にひとつの歴史観を強いることができないこと、そして植民地支配を正当化するような記載のある教科書など一つもないことを申し上げ、すでに三年も続いている日韓の歴史共同研究は、メンバーを変えて第二期に移行しましょう、と申し上げました。

日韓外相会談 潘基文外交通商部長官と(平成17年5月6日、京都市内にて)
日韓外相会談 潘基文外交通商部長官と(平成17年5月6日、京都市内にて)

 実のところ、今回検定を通った歴史教科書は、四年前よりも、韓国の立場から見て“改善された”教科書、といっていいものです。竹島については歴史教科書ではなくて、公民教科書の問題なのです。竹島については両国の考え方が違う、したがって教科書の削除要求には応じられない、というのが我々の原則です。
 こういった教科書問題、歴史認識の問題は、沈静化したかと思うとすぐにまた火がついて、両国の友好関係に多大な悪影響を与えています。日本は中韓それぞれの国と国交を正常化したとき、「過去の問題」についての反省を表明しています。また、総理談話としては、九五年の村山談話、そして今年の四月、ジャカルタで行なわれたアジア・アフリカ会議の席上、小泉総理が村山談話を踏襲する形でお詫びと反省の意を述べています。この時日本のマスコミは村山談話を引用したことばかりを報じましたが、席上で小泉総理は同時に、戦後、我々が平和国家としていかにアジア・アフリカ地域に貢献してきたか、そしてこれからも貢献していくのかを、具体的にODAやPKOなどの事例をひいて宣言したのです。中国も韓国も、我々が平和国家として世界に寄与してきた部分にも、きちんと認識していただきたい、と願っています」


明確な言葉で主張せよ



――この半年を振り返ると、歴代の外務大臣と比べて、中国や韓国に対してより率直に意見を表明している、という印象を受けますが。
「もちろんこの四月に中国で起きた暴動は、議論の余地なく中国側に責任のある問題ですし、その後国際世論が圧倒的に中国がおかしい、という方向に向いていましたことも事実です。私も強く日本の要求を申し述べてきました。竹島についても、日本の立場は一貫しています。ただ、私は何も中国や韓国にだけはっきりものを言っているわけではなく、いかなる国との関係においてもなるべくはっきりと、明瞭な言葉で国家として、外務大臣として意思を伝えなければ、と思っているだけなのです。
 たとえば、よく政治用語で『慎重に対処されたい』という言葉を用います。いかにも日本語的な表現ですが、正直いって、意味がよくわからない。そこで私は、国際会議などでの対処方針も含めて、賛成ならば賛成、反対ならば反対と明快に主張すべきではないか、と思い、できるだけシンプルな言葉で意見表明をするよう,外務省の皆さんに言っています。もちろん、無用の摩擦を招いたり、対立を煽るつもりは毛頭ありませんが。
 ここで誤解のないように明確にしておきたいのは、対中関係や対韓関係の重要性は、いくら強調してもしすぎることはない、ということです。李外交部長との二回の外相会談だけでなく、四月二十二日にジャカルタで行なわれた首脳会談で、双方は日中関係が両国のみならずアジア、そして世界にとって重要であることを確認しましたし、日中間系改善に向けた強い意欲が共有されました。具体的には日中共同作業計画の策定、日中交流基金構想、さらに昨年十月以降中断していた東シナ海の資源開発についての話し合いの再開など、前向きな合意がなされています。そもそも四月十七日の日中外相会談では本来、これらを中心議題として行なわれる予定でした。日中関係を重視し、対話を通じて共通利益の拡大を図り、パートナーとして前進していく、という基本方針は、呉儀副総理の突然の帰国を経た今も、変わりはないのです。
 また韓国は、この地球で日本に一番近い国です。盧大統領は、日本の歴史認識
を強く批判した三月一日の演説の中ですら、日韓は運命共同体だとして、互いに協力して平和の定着と共同繁栄の道に進もうと述べています。小泉総理と盧大統領が、胸襟を開いてざっくばらんに話し合おうということで、毎年お互いの国を訪問し合う「シャトル首脳会談」の実施に合意したことは、その重要性を示すものと言えます。
 確かに竹島問題などで、ここ数カ月の両国関係はあまり良好とはいえませんが、その中で私は「韓国の皆さんの過去をめぐる心情を重く受け止めている」との談話を発表しました。また四、五月と立て続けに日韓外相会談を行い、日韓関係を平静に戻すため、潘長官と率直に議論しました。
 外相会談では、私が談話で発表した気持ちを込めて、戦時中に徴用された方などの遺骨の調査・返還、これまで行なってきた在サハリン韓国人支援(約六十四億円)の継続、そして在韓被爆者への支援を表明しました。こうした形で日本が過去に起因する問題について人道的な観点から対応を進めていることは、韓国側でも評価されています。


中韓におもねることなく



――ことあるたびに、中国あるいは韓国から「歴史認識」の問題を持ち出され、少なからぬ日本人が、うんざりしている様子がうかがえます。
「そもそも異なる歴史をもつ国同士が歴史認識を完全に一致させることは不可能なのかもしれません。しかし互いに違う部分は認め合い、その上で言うべきことは言うこと、それが日韓、日中で共同歴史研究をすることの意義だと思います。
 そもそも、「歴史」とはいったい、何なのでしょうか。
 私は、国民各々が自らの家の歴史を辿り、そこから時代の歴史を辿ることで、過去から現在へと、途切れることなく続いてきた生命のつながりを実感することをとても大切な作業だと思っています。
 たとえば江戸時代、私の曾祖父は越前府中(現在の福井県武生市)の奉行を務め、祖父は維新後に札幌農学校で内村鑑三らと机を並べ、父は湯浅宮内大臣の秘書官として二・二六事件に立ち会い、鈴木貫太郎内閣の警視総監を務め、戦後は北海道知事として北海道の発展に尽くしました。そして、その先に今という時代があり、私という人間が生きています。
 すなわち自分が先人たちの犠牲や活動のもとに今を生きていること、つまり前の世代=走者から受け継いだバトンを、終わりのないリレーの第何番目かの走者として次の走者=世代へと手渡す責務を負っている。そのことを日々確認するために歴史を学ぶのです。その意味で、私は保守主義者を自任しています。このことについては、拙著『保守の論理』(PHP研究所刊)にも詳しく記しました。
 確かに戦前の日本は自ら国策を誤り、破滅への道を歩み、中国や韓国の人々に大きな苦しみを与えました。時として日本の高位高官が戦争を美化するような発言を行いますが、中国や韓国の人々の立場に立てば、まことに配慮が足りないと言わざるをえません。
 そして大局から見れば、日本政府は戦後六十年間、自省と平和外交を地道に、しっかりと進めてきたことは紛れもない事実です。日中、日韓それぞれの国交回復は、そこに至るまで政治家、実務家の大きな苦労がなければありえなかったことですし、国交回復後の関係の進展についても、その時々の為政者や双方の国民が努力を怠らなかったから今がある。私たちは、この先人たちの努力の積み重ねを、自分たちの世代で崩壊させてはならない、と思います。
 私はかつて、日中友好議員連盟の幹事長や副会長を務めていました。日韓議連のメンバーとしても、何度も訪韓しています。日韓・日中、それぞれの友好関係を今後どうやって進めていくか、そこに全力を尽くしたい、という思いは昔も今もまったく変わりません。
 ただ、そのときに何か一方的に日本がへり下り、おもねることでしか友好関係が成立しない、ということであれば、これは長続きしない関係になってしまう。日本国民の中に、常に嫌中・嫌韓の感情がくすぶることになる。お互いにもっと自然に、ざっくばらんに話ができるようにしなければなりません。この話はタブーだから、というものを作ってしまったら、国と国の本当の関わり、本当の友情は成り立たないのです。
 今日の日米関係にしても、太平洋戦争のあとに築かれたものです。戦争経験者の知人で、アメリカ人の前に行くと言葉がスムーズに出なくなる、と言っていたことがありました。「我々はこの人たちと戦って負けたんだ」という思いが頭をよぎる、というのです。学生時代、アメリカに留学した経験を持つ私からすれば、アメリカ人は心が広く、フェアな人が多い、と思うだけでした。この世代感覚の差は、どうやっても埋めようがない。でも、その差は埋めるものではなく、それぞれはそのままに、丁寧に積み重ねていくべきものなのです。
 もちろん日米間には昔も今もさまざまな摩擦があります。しかしその摩擦を克服できるだけの幅の厚い日米関係が、それぞれ個人、ビジネス、政治、安全保障のレベルで成り立っている。それは、基本的な価値観を共有できているからだ、と思います。
 ですから、そのような関係を日韓、日中の間にもしっかりと築いていけるように、まずは率直な意見交換ができる環境、場を作らなければなりません。そのために、引き続き粘り強く大臣として職務を果たしていくつもりです。今は、幅の広く厚い日中、日韓関係を目指して進んでいく、その過渡期に差しかかっているのかもしれません」