私を応援して下さる方々が「信友会」という集まりを作って下さっています。一年に何回か、東京のホテルの広い場所を借り、朝食を食べながら近況のご報告を申しあげ、参加者の方々からの御質問にもお応えしながら交流を深めています。ただ、場所が東京であったり、時間が限られていたりで、支援して下さる皆様全員にお話しを出来ないのが悩みであり、残念な点でもあります。
 そこで今回、どのようなお話しをしているかをこのホームページ上に再現してみました。話しの全部を載せても読みにくいので、内容をかいつまんで、更に読みやすくするために見出しを付けてご報告申しあげます。


第28回  信 友 会 昼 食 会 

平成17年6月13日(月)
赤坂プリンスホテル クリスタルパレス




目次
 
激務ですが意外に元気です
 小村寿太郎の本を読みました
 戦後日本の平和主義にもっと自信を
 何故、国連安保理の常任理事国入りなのか
 今、日本にはインテリジェンス能力が必要です
 困難だからこそ「もっと対話を」
 日中で歴史共同研究を進めよう
 日韓関係、本来は良好の筈




激務ですが意外に元気です
今日はお忙しい皆さま方にかくも多数ご参集をいただきまして、本当にありがとうございます。
 文部大臣のときも同様でございましたが、外務大臣になって、特に現在、ご承知のようにいろいろな問題が起きております。ですから非常に多くのお電話、お手紙、ファックス、メール等をいただきます。「なるほどなあ」という意見がずいぶん見受けられます。いろいろな皆さまのお考えを知ることができ、たいへんありがたく思っています。やはり外交は、幅広い国民の皆さん方の理解の上に成り立つものだということを大臣になって9カ月、改めて痛感しているところでございます。
 この9カ月にどれだけの人に会ったりしたかという、一つ一つ全部を詳しく申し上げることはできません。ただ、おかげさまで学生時代にラグビーをやって鍛えた体力があるせいでしょうか、元気いっぱいで仕事に励んでおります。
 これは母の遺伝でございまして、どこでもすぐ眠れるのです。父は非常に神経過敏な人で、枕が変わると眠れなかったのです。ところが母はその正反対で、時間が10分あれば5分寝られるという特技の持ち主でした。私も飛行機で移動しても、ワインを2〜3杯飲めばすぐ眠れるので、飛行機の移動がさほど苦にならない。いや、苦にならないは言い過ぎですが、あまりこたえないので、何とかもっているのだと思います。
 ただ「昨今テレビで観ていると、おまえの顔はそうとうくたびれているから、しっかり休みをとれ」という、ありがたいお言葉もいただき、それもそうだなと思っています。
 来週は、日韓首脳会談のあと、ロンドンでのG8外相会談に出席いたします。7月下旬は、ラオスでASEAN+3の外相会談があり、その次は去年から川口大臣が始められた中央アジアの国々との交流がございます。
 特に国連安保理の常任理事国入りという、10年間議論を重ねてきたたいへん難しい課題のタイムリミットが迫ってきているという状況で、これに向けて努力をしなければいけません。本当に休まる暇がないというのが、日々の実態でございます。
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小村寿太郎の本を読みました
 外務大臣になって、いろいろな書類を見たり本を読んだりします。この間、岡崎久彦さんの『小村寿太郎とその時代』という本を読みまして、たいへん感激いたしました。 100年前の日露戦争時、開戦から日露交渉をまとめ上げた小村寿太郎外相が、実によく世界の情勢を見極めているということに、まず感心をいたしました。ロシアの満州占領等からみて、日露激突は避けられないと見抜き、日英同盟を結んだ上で、日露開戦に至るプロセスは、小村外交の戦略眼の正しさを物語るものでありました。明治の人の外交にかける心意気、日本が不平等条約をはじめとして国際的に非常に劣位に立たされて、その中からわが国が一人前になっていくそのプロセスを歩む中で、小村寿太郎の果たした役割は非常に大きかった。そういうことを教えてくれる本でした。
 また寺林峻さんの『怒涛の人 吉田茂伝』を読みました。吉田茂は外交官出身で、戦争に負けたあと、苦しい中でなんとか日本の主体性というものを保ちながら、独立国として早く国際社会に復帰を進める、そのプロセスを書いた本でございます。これもまたたいへん感動的でございました。
 さて、こういう本を読みながら強く感じますことは、戦後日本の姿です。
 戦前、わが国は、植民地支配と侵略により、アジアの諸国に多大の損害と苦痛を与えたこと、そして、これを痛切に反省し、心からのお詫びの気持ちを抱いていることを何度も表明してきています。
 そういった反省の上に立って、戦後の日本というのはいわば臆病なまでに平和主義を貫いてきた。この60年を振り返ってみると、ほぼ前半は、純粋にとにかく平和であってほしいという理想主義的平和論の時代。戦争に巻き込まれなければいいという消極的な平和論の時代で、ひたすら経済の発展に尽くしてきた30年、40年でした。
 後半は、積極的に世界の平和をつくることに努力をしようということになって、ここ15年、20年努力をしてきた。いちばんの大きなきっかけは1990年の湾岸戦争、サダム・フセインのイラクが隣の小さなクウェートを侵略した。それに対して多国籍軍の反撃をきっかけとして、日本も積極的な平和活動への参加を考え始めました。
 大議論をしてPKOの法律(国際平和協力法)を通し、カンボジアに行き、ゴラン高原に行き、そして東チモールにも行く。自衛隊は戦争をしに行ったのでも戦闘行為をしに行ったのでもなく、人道復興支援のために行ったのです。また、特別な立法でアフガニスタンのテロ対策特別措置法、そしてイラクの人道復興支援特別措置法。積極的にテロ対策を含めて、国際社会の中で日本は平和をつくるために努力をしているのです。
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戦後日本の平和主義にもっと自信を
 消極的であれ積極的であれ、とにかく戦後の日本は、「平和」をスローガンに掲げて国の外交をやってきた。日本人の気持ちの中に、戦争は二度と起こしたくない、平和でいこうという覚悟がある。私は、日本が戦後一貫して平和主義でやってきたことに、もっと自信を持っていいと思います。堂々と、内外に主張していいのだろうと思うのです。
 またおカネの面でも、政府開発援助すなわちODAで、日本はまだまだ貧しい時代から世界に貢献してきました。1990年代には、日本は厳しい赤字財政でした。しかし世界一のODA供与国であり続けました。
 2000年に入ってから、いかにも財政が悪いということで、日本の援助が減り、一方諸外国は特に2001年の9・11以降、貧困こそテロの原因ということで、負担を増やしてきています。しかしそれでも、現在日本のODAは世界2位です。来年、再来年、このままいくと、他国に抜かれるかもしれません。しかし日本は90年代の開発援助をリードし、今でも供与額は2位であるということに、もっと自信を持っていいわけです。
 また人の面でも、海外青年協力隊や、最近はシニアボランティアという形で、さまざまな形で協力活動をやっている。一つ一つは目立たないかもしれないけれども、それぞれの地域ではたいへんな効果を表している。
 先般の津波で、モルジブのいちばん大きな町がやられかけた。しかし、その町は津波から逃れることができた。何故か。
 日本のODAによって、港の外にテトラポットが並べてあった。そのおかげで町は津波から逃れることができた。本当にこれは日本のおかげであると感謝されました。目に見えないが、日本はいいことをやってくれているのだということが、津波のときにハッと分かった。こうした日本の活動は、世界に誇るべきものだと思います。
 その底流に平和憲法があり、その延長線上に非核三原則があり、武器輸出三原則がある。今憲法見直しの議論が行われていますが、日本が「平和」を大切に考えてきた、これからも大事にして行くという点は変わりません。こうした日本の戦後の行き方に、私達はもっと自信を持っていいし、世界に向けてこれだけのことをやってきたのだと発信すべきだと思います。
 今年の4月下旬にインドネシアでアジア・アフリカ首脳会議が開かれました。半世紀前にあったバンドン会議の50周年を記念するもので、日本もその29カ国余のうちの一国であったということで参加したわけです。
 この会議で小泉総理は「日本は戦前の反省の上に立って、戦後は平和的な活動をやってきた。これからも一生懸命やっていく」という内容の演説をしました。また、アフリカに対する援助を3年のうちに倍増しようという内容を含め、未来に向けてのメッセージも発信したのです。ところが何故か日本のマスコミは、イントロダクションの戦前の反省という部分の報道しかしない。英文にすれば4〜5行の話なんです。国際的にお詫びだけしに行ったのかという印象を持った方が多いと思いますが、決してそうではないのです。どうしてマスコミの皆さんはバランスのとれた報道をしてくれないのか、残念な思いがいたしました。
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何故、国連安保理の常任理事国入りなのか
 さて、戦後の平和の歩みをこれからも歩んでいくために、日本はどうしたらいいのか。外務大臣として今、一生懸命考え、行動に移しているつもりでございます。
 その一つに国連安保理の常任理事国入りの問題がある。お手許の資料で、なぜ安保理改革が必要なのかということに触れてございます。実はちょうど10年前、国連ができて50年、戦後50年の年にもずいぶん議論が盛り上がったんです。しかし、結果的にはコンセンサスができないということで、何も変わらなかった。
 今年は戦後60年ですが、10年このかたずっと議論が続いてまいりました。昨年の11月下旬には、世界の有識者が集ってレポートが出された。日本からは緒方貞子さんがその一員でございますが、それを受けて、この3月にアナン事務総長もレポートを出したことで、より具体的に議論が進みました。
 その中には、人権理事会や平和構築委員会の創設、事務局のリストラ等いろいろなことがありますが、最も重要なのは、世界の平和と安全に責任を持つ安全保障理事会をどうしたらいいかという議論です。
 この流れの中で、昨年の9月に小泉総理が「日本は常任理事国として責任と役割を果たす用意がある」という演説をし、時を同じくして、ドイツ、ブラジル、インド、この4カ国で取り組みを一緒にやろうということで、G4すなわちグールプ4ができたのです。
 「日本だけならば諸手を挙げて賛成なんだけれども、、、、」という国もあるのですが、では日本1カ国でこの運動をやって、ここまで話が進んだかと言うと、残念ながら、そこまで日本の力が強いと私は思わない。やはりグループ4で、ここまで安保理改革の動きを進めることができたと思っておりますし、これからもお互いの連帯感で進めていく必要があると思います。
 アナン事務総長はモデルを二つ提案しました。モデルA、モデルBと言うのですが、日本はモデルAに賛同しています。それは常任理事国を6つ増やし、非常任理事国を4つ増やし、合計10の理事国を増やすものです。現在15の理事国が25になるわけです。6カ国とは、アジアが日本、インド、南米はブラジル、ヨーロッパはドイツ、あとアフリカが2カ国です。
 モデルBというのは、ぜんぶ非常任理事国にしようという提案でありまして、日本は支持していません。
 今の国連の仕組みは、1945年の時点での国際的な力関係を反映したものです。当然アフリカの独立国はごく少数でした。しかし、今や 191カ国のうちの50数カ国、1/4はアフリカの国々。しかも実際にいろいろ議題に上るのはアフリカの内戦、国家同士の争い、エイズ、貧困、飢餓等々、アフリカに関する話が非常に多いのです。アフリカの代表が常任理事国に入るのは、ある意味当然でしょう。だから、アフリカもどうぞと言っているわけであります。
 そうはいっても、なかなか簡単なことでないことは、ご承知の通りです。近隣諸国の反発に加え、大部分の国にとっては、常任理事国が増えることなど、どっちでもいいことなんです。それより非常任理事国が10カ国増えれば、もしかしたら10年に1回ぐらいは自分たちも非常任理事国になれるかもしれない。大部分の国は、心情的にはモデルBに流れてしまうのです。なかなかこのへんが難しいところであります。
 日本が一流国になりたいとか、国連の予算の2割もおカネを出しているのだから当然だという言い方もありますが、そんなことより、何故日本が常任理事国になると国際社会にとっていいのでしょうか。
 それは日本が戦後「平和」を掲げて歩み続けてきたからなのです。
 何と言っても日本は核兵器を持たないで、平和のためにこれだけ努力してきた。そういう国が常任理事国に入っているといいと、国際社会が自然にそう思ってくれることが望ましいのです。
 実際、数多くの外務大臣と話をすると、日本は当然その資格があると言います。資格があるという意味は、おカネ以上に、核兵器を持たないで平和のためにこれだけ努力してきた歴史を、非常に多くの国々が認めているということです。今の常任理事国は全部、核兵器を持っている国々です。アメリカもロシアも中国もイギリスもフランスも、みんな核保有国。核保有国でない日本が入ることの意味が大きいのだと言えるわけです。また日本にとっても、非常に重要な国際的な意思決定をする場にいて、そこに日本の国益を反映できますし、やはり常任理事国に入ってくる情報量というものがまるで違います。
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今、日本にはインテリジェンス能力が必要です
 日本はこの1月から非常任理事国になっており、これは何年かに一度なれるわけですが、やはり非常任理事国であるだけでも、国連代表部から入ってくる情報が非常に増えてきております。ウサギのように、力はないけれども、安全を保持するために、耳だけは長く持っていろいろな情報を収集しなければならない日本のような国にとっては、安保理の中にいるということは、非常にプラスが大きいわけであります。
 情報というと、日本はインテリジェンスとインフォメーションの区別がどうもつかないで、どっちも「情報」という言葉になってしまう。大まかに言って、いわゆる情報はインフォメーション。まあ諜報と言うと、ちょっと偏ったイメージになりますが、これがインテリジェンス。
 戦前の日本は、軍隊を中心にインテリジェンスというものをかなりやってきた。日露戦争の時など相当なインテリジェンス活動をやっています。ロシアがどんどん西から東へ侵略してきている時代、先の小村寿太郎は、シベリア鉄道でロシア軍の輸送能力が高まると、確実に日本は侵略されるから、むしろ日本は早くロシアに戦争を仕掛けて、緒戦で勝ったほうがいいんだという読みをしている。単なる推測ではなく、シベリア鉄道による輸送力は1日どのくらいか、兵員と物量はどのくらい運べるのかという数字をきちんと計算している。したがって何年何月よりあとにまだ戦争を続けていると、日本は確実に負けるということを見極めた上で、だから侵略されぬためにも早く日露戦争を行なうべしと言ったのです。
 しかし戦後は、戦前の総反省ということから、インテリジェンス活動をほとんどやらなくなってしまいました。外務省でも若干、報償費などというものがあって、多少そういう面におカネを使えるのですが、今や情報公開の時代ですから、報償費の使い方を全部公開せよという要求が野党からあるのです。
 ただ、私が大臣になってから、野党の人たちからも、そういう活動は必要だという声が出始めました。「外務省は何をやっているんだ。インテリジェンスは何もやっていないのか」と、野党の人たちが怒る。「いやいや、皆さん方の前身である日本社会党はそういうものに一切おカネを使ってはならない、人も置いてはならないと言われたので、外務省はそういう活動をやってこなかったんですよ」と言うと、「民主党は日本社会党とは全く別の政党だ」と言われます。
 そういうことでありまして、与野党を通じてかなり、インテリジェンスの重要性というものの認識が高まっています。私は、外務省だけでやるのはどうかとも思ったけれども、とりあえず政府全体のインテリジェンス能力を高めるために、外務省として何ができるかということで、「対外情報機能に関する懇談会」を4月につくって、夏ごろまでには意見をまとめてもらおうと思っております。
 私はかつて、9・11当時、幹事長代理を務めておりましたが、「日本もテロ情報をしっかりと把握しなければいけない。そのためにインテリジェンスの能力を強化する必要がある」と思い立ち、テロ対策本部に委員会をつくりました。自ら委員長になって、イギリスに行き、彼の国のインテリジェンス活動の一部を見てまいりました。有名なジェームス・ボンドの所属するMI-6にも行きました。ボンド・ガールはいませんでしたが(笑)。
 長官と話をしましたら、「100年間以上インテリジェンスを一生懸命やっているけれども、それでもしばしば失敗する」ということでありました。だから、これは難しい作業ですが、時間をかけてでもインテリジェンスの強化が必要なのです。
 本当は外務省の外に情報機関をおかなければいけない。何故かと言うと、外務省は政策をつくる機関です。政策をつくる機関が自ら情報集めをすると、どうしても自分の政策に都合のいい情報だけを持ってくる。本当の意味の情報収集にならない。やはり独立した機関で、形式上外務省の傘下にあってもいいけれども、実質は独立した機関で、そこで集めた情報はお客さんである外務省、防衛庁等々に提供するのがいいというのが、私の結論でありました。
 いずれにしても、安保理の常任理事国になると、そうした情報収集というのがある意味では非常にやりやすくなります。そのことは日本の国益にとって間違いなくプラスだということを、ぜひ皆さん方にもご理解いただきたいと思います。
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困難だからこそ「もっと対話を」
 さて皆さん方、やはりいちばんの関心は中国、北朝鮮、韓国との関係はどうなるのだろうかということではないでしょうか。どうも町村外務大臣ははっきりものを言いすぎて、外務大臣として不適格である、というご批判もいただいておりますが、私は日本の外交は、きちんとした論理で交渉の場面に臨まなければならないと思っているのです。
 これまで国際会議の対処方針や各国大使への外務省の訓令は、どちらとも取れるような、白であるか黒であるか分からないような表現ぶりというものが結構ありました。そのことが、無用の混乱を生んだり、またあとで誤解を招いたり、あるいは日本は結局何を言っているか分からない国だと言われたりする。
 よく「顔の見えない外交」と言われますが、顔が見えないというのは、要するに自己主張がない国と置き換えてもいいのだろうと思います。もちろん、いたずらに諸外国と対立して混乱を招くことは「外交」ではありません。そこには適切な表現というものを求めなければならないと思います。しかし、私はやはり言うべきことははっきり言わねばならないと思うのです。
 小泉総理と胡錦濤国家主席が昨年の11月チリで、この4月インドネシアでも会った。昨年の11月に小泉総理と温家宝首相が会った。その場に私は立ち会ってはおりませんが、あとで言葉のやりとりの全言を見ると、ものすごい忍耐心をもって小泉総理が臨んでいるというのがよく分かるわけであります。その一言一句を今ここでご紹介することはできませんが、意見が違うときほど両国首脳が率直な話し合いをすることに意味があるのです。靖国にしろ何にしろ、なかなか共通点には達しないかもしれませんが、意見の対立があるときにこそ、両国首脳が率直な、腹蔵のない話し合いをすることは大きな意味があります。
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日中で歴史共同研究を進めよう
 今、中国あるいは韓国との間で幾つかの争点が確かにあります。しかし、一つ対立があるからといって、それで2国間関係がすべて駄目になってしまうということにはなりませんし、またそうならないようにするのが私のつとめです。
 中国の李肇星外交部長と話をして、お互いにいい関係をつくるために日中共同作業計画というものを策定し、それを実行しつつあります。お互いの交流をもっと深めるために、例えば日中文化交流基金というものを年末までに作ろうということで、作業を進めております。それによって、特に文化交流とか青少年の交流を活発にしていく。あるいは日韓でやっている歴史共同研究を日中でもやろうじゃないかとも提案しました。歴史の共同研究をやったからといって、たちまち共通の歴史認識が生まれるほど簡単なものではありません。しかし、どことどこに違いがあるということをお互いにはっきり認識し、共通点が少しでも、5%でも、10%でも、20%でも広がっていけば、私は共同研究をやる意味があるし、また実は研究プロセスが大切なんだと思っております。
 「政冷経熱」。政治が冷たく経済は熱いが、あまり政治が冷たくなると経済も冷たくなってしまうと言う方もあります。しかし私は基本的な両国の流れが大きく変わることはないと思っています。お互いがお互いを必要としている現在の経済環境があるわけですから、大きな日中間の友好・平和が簡単に変わるものでもないし、変えてはいけないものだと思います。
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日韓関係、本来は良好の筈
 同じように、日韓にも確かに対立点があります。確かに竹島問題となると意見が分かれてしまいますが、日韓の争点であった歴史教科書については、日韓の間で、問題は以前と比べてとても小さくなったように思います。
 4月6日に検定済み教科書が出たのですが、何故それ以前、3月の段階であれだけ「教科書、教科書」と韓国の皆さんが言ったかというと、検定前の本を一生懸命韓国の人に見せて、「こんなにひどい記述があるんですよ。皆さん、問題でしょう」と言って、火をつけて回った、一部のまことに不愉快な人たちが日本にいたわけです。こういうことまでやって日韓関係を悪くさせたいのでしょうか。まことにこれは残念なことだと思っております。
 ですから、現実に検定済みの教科書を見て、領土問題の出ている公民の教科書は別として、歴史教科書について、韓国からは今、意見はほとんど出ておりません。それはそうなんです。日本の歴史教科書のどこをめくっても、戦前の日本が韓国を植民地支配していたことは素晴らしいなんていうことを書いてある教科書があろう筈がないのです。それは執筆者の顔ぶれを見ればすぐわかる話であります。
 したがいまして、日韓の問題も、日韓首脳の間で冷静に話し合えば、いずれ必ず問題は解決するだろうと信じています。だいいち2月中・下旬ぐらいまでの日韓関係を考えると、ほんとに素晴らしくよかったわけです。日本の女性は韓国の男性にしか関心がないというぐらい、あの韓流ブームとやらでものすごかった。韓国の文化、韓国のドラマ、韓国の食事、ぜんぶ日本人の好むところと思うくらいでした。さらに今年は日韓友情年ということでさまざまな、何百というプログラムが両国で行われている。まことにいい状態だったのです。
 それが2月下旬頃から、島根県条例で「竹島の日」を定める動きが出て、それから急速に日韓関係が悪化していくのです。韓国の歴史の総点検、トップ・リーダー達の世代交代によるネチズン世代の登場、日米よりは北朝鮮に親しみを覚える世代の増加等、様々な要因はあるようですが、同じ価値観を持つ日韓関係は必ず好転すると確信しています。
 北朝鮮も依然としてたいへんな問題であります。早く6者協議再開に応じなければ、彼らの不利益になるんだよということをいろいろなルートで言っておりますが、彼ら特有の瀬戸際外交もあってむづかしい。また彼らの拉致問題に対する対応などというのは、まことに不誠実ですが、どこかで解決の糸口をつくらなければいけないと思って努力をしているところでございます。
 外務大臣になると言いたいこともなかなか言えないので、毎日、腹膨るる思いの連続でございますが、それでもおまえはまだ言い過ぎだと言われているのだから、これ以上言わないでいると、ますますおなかが膨れてしまうなと思ったりもいたします。
 しかし、一生懸命国益のため、国家のため、頑張らなければいけないと我が身に言い聞かせ、日々務めています。そういう活動ができますのも、今日ご参集の信友会の皆さま方の温かいお気持ちとお支えがあればこそでございまして、皆さんのそうしたご協力に心からもう一度御礼を申し上げる次第でございます。たいへん拙い話でございましたが、ご清聴ありがとうございます(拍手)。
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